プロローグ

 1985年の春、まだ温暖化がどう、熱中症がこうといった話題が日常的でない頃である。

 姫嶋啓史(ひめじまたけふみ)は地元中学のグラウンドに立って固くて重い楕円球を持ちながらラグビー部顧問教諭の松田の熱弁を聞いていた。姫嶋が通う大田原(おおたばる)中学は、N県の公立中学校で町の中心地││と言っても、県庁所在地のN県N市の中にしては片田舎の大田原町では、住宅が多めに立ち並ぶ地域といった程度であるが││から徒歩三十分ほど離れた緑深い場所に佇む、良く言えば環境の良い、悪く言えば自然以外何もない、とにかくスポーツに打ち込むにはそれなりに適した立地を有していた。

 姫嶋が大田原中ラグビー部の門をくぐったのは、田舎の中学校の部活動にしては珍しくラグビー部があった││N県内の中学でラグビー部があるのは4校だけだった││ことはもちろんだが、小学校時代に所属していた地元ソフトボールクラブからの繰上りで軟式野球部に入ることがためらわれたこと││それも主には坊主頭を強制されることに抵抗を感じたからという間接的な理由なのだが││がきっかけだった。無論それだけではなく、同級生だった深谷真治(ふかやしんじ)、常川亮(つねかわりょう)の二人から小学校卒業と同時に「一緒にやらないか」と誘われたこと、そして折しも派手で分かりやすい演出が話題のテレビドラマでラグビーという競技が取り上げられていたことが相まってのことであった。さりとて取り立てて頂点を目指すだとか、スター選手にあこがれてだとか、ラグビーという競技に楽しみや面白さを感じていただとかいったことすらない、スポーツはしたいのだが何か宛てがあるわけでもなく、友人が誘うのでそれに乗ってみたといった、極めて他律的な動機でしかなかった。

 同級生の深谷とは、クラス名簿の名前順で前後だったことから会話するようになり、その飄々としていながらもぶれない芯のようなものを感じさせる人間としての強さに好感を持っていた。いつも一緒の親友というほどではないが、学校や通学路で会えばしばし談笑する間柄であった。深谷は三人兄弟の真ん中で、両親と兄の影響から物心ついたころにはラグビー漬けの生活になっていたという、典型的なラグビー一家で育っていた。姫嶋は直接ラグビーの話をしたことはなかったが、地元では有名な一家でもあり、また、珍しく幼稚園から子どもたちを受け入れて指導する││深谷の父親もそのコーチの一人だった││ラグビースクールが比較的身近だったこともあって、深谷がラグビーと深い関係を持っていることは知っていた。その深谷が、共通の友人で芸術肌のひょろりとしたあまり運動経験のない常川を誘って中学のラグビー部に入るというので、姫嶋にとっては、誘われれば断る理由が見当たらない程度の安心感と納得感があった。

 顧問の松田浩司(まつだこうじ)は、ガタイの良い典型的な体育教師で、自身が高校、大学と体験したラグビーという至上のスポーツを若き教え子たちに理解してもらいたい、あわよくば好きになってもらいたいという高いモチベーションと情熱にあふれていた。松田の説明によれば、ラグビーは身長や体重、運動神経のありなしといった、世の中にある普通のスポーツなら一定の条件が課されるような身体的特徴は気にしなくて良いらしい。なぜなら、身長の高低や体重の軽重、器用さや瞬発力、力の強さ、足の速さといったそれぞれの特徴や個性に合わせたポジションがラグビーには用意されていいるのだと。だから、チームと一体になってボールを追いかける気持ちがありさえすれば、持っているその個性を生かすことのできる、すばらしい競技なのだと。姫嶋は経験こそなかったが、ソフトボールを経験していたことで人並み以上に体を動かせる自負があったし、県内小学校の連合体育大会でリレーのメンバーに選ばれるくらいの足の速さにも自信があったので、そういった今でいうところの多様性や寛容な競技性に惹かれることは正直あまりなかったが、それでもラグビーという競技の面白さはおぼろげながら感じられたし、何より松田の情熱を目の当たりにして、こういう「熱い」大人を創造するラグビーというものに少なからず関心を持ったのは事実だった。

ノックオン

 松田が深谷など経験者を除いた初心者に向けて最初に説明したルールが「ノックオン」だった。いや、当時の松田の発声に正確に言うなら「ノッコン」が正しい。ノッコンは英語でKnock-On、すなわち地面にボールを落とすことである。松田は新入部員を集めると徐に、今からボールを投げるから、受け取ってみよう、落とすと「ノッコン」だ、と深い理由は説明もなくボールの投げ方を指導してくれる。初心者としては、落としちゃまずいということだけが頭にこびりつき、ボールを受けるときはとにかく両手でしっかりつかむようになる。松田がそれを狙っていたかどうかは定かではないが、とにかく初歩の初歩としてはしっかり習得しなければならない。はじめは間近の相手と向き合い、次第に距離を離し、そのうち走りながらや地面に置いたボールを投げるなどシチュエーションを変えながらボールの扱いに慣れていくのが常套手段だ。

 そうしてボールの扱いに慣れてくると今度はミニゲームなどをするようになり、そこで初めてボールを「前方に」落とすのがノックオン(ノッコン)であり、後ろは良いのだと知る。姫嶋は、そう言われれば、確かにボールを持ったら自分より後ろのやつに投げろ、前には投げられないと念を押されてゲームに入ったなと思いつき、なんだその延長かとなんとなく合点がいった。それなら最初から前に投げないというルール││これを「スローフォワード」というのだが││と一緒に説明してくれれば良かったのになどと独り言ちてみるが、なおも続いているゲームに集中することでそれも霧散していった。松田にしてみれば、ボールを投げ合う練習で前や後ろやと余計な説明をして混乱させたくない、あるいは単に面倒臭いといった思いもあったのだろうが、当時の姫嶋には知る由もない。

 かくして姫嶋や常川を含むチームの初心者メンバーは「ノッコン」の何たるかを身をもって知ることになるのだが、ノッコンには例外もあり、相手キックを身を挺して防ぐチャージ・ダウンとボールをワンバウンドさせて蹴るドロップキックは一時的にボールが前方に跳ねたり転がったりしても許される。もちろんラグビーを始めたばかりだった当時の姫嶋には何のことやらさっぱり分からなかったが、練習や試合を重ねるにつれ、それは良いことなのだと自然と体に染みついてくるから人間の理解というのも案外いい加減なものだ。

スクラム

 ボールがそれなりに投げられるようになってくると、集まったメンバーそれぞれの個性に応じて大まかなポジションを決めることになる。松田の説明では、大雑把に言うとスクラムラインアウトなどの集団戦をするのがフォワード(FW)で、FWからもらったボールを展開して得点を決めるのがバックス(BK)だ。姫嶋は自分の足の速さにはそれなりに自信があったし、体もそれほど大きくはなかった││むしろ前から数えた方が早いくらいの身長だった││ので、自分はBKだなと値踏みしていたが、松田から一も二も無く「FW」と告げられて拍子抜けした。

 FWとBKは、ストレッチや軽いボール回しなどの全体練習の後分かれて練習することになる。姫嶋は、集まったFW陣からふとBK陣を見やると輪の端の方に深谷と常川がいた。深谷はラグビー一家に育った人物らしくゲームコントロールやパス、キックなどの技術に長けており、卒業した兄の影響もあってすでに先輩たちとパス回しをするような状態だったので納得だが、常川は元々運動がよくできるタイプでもないのにBKなんて大丈夫なんだろうかなどと自分のことは棚に上げて心配になったが、我に返るとFWの中でのさらなる役割が言い渡されるところだった。

 姫嶋が任命されたFWという集団には、8人分の役割がある。主にスクラムという、ノッコンなど軽微な反則の後試合を再開するときに組む8対8の集団戦があり、それに加わるメンバーなのだが、スクラムの配置は世界共通で決まっており││かつては不規則な組み方が認められていた時代があったようだが││1列目に3人、2列目に2人、3列目に3人という3-2-3の3列でポジションが分かれている。1列目は両側に入るプロップ(PR)││英語で「支柱」という意味だが││とそれに挟まれてスクラムをコントロールするフッカー(HO)で構成されている。先輩たちのチーム編成を見るまでもなく、体の大きな││特に横に幅広いタイプの││選手が選ばれるこの1列目に、姫嶋はHOとして採用された。

 どちらかと言えば俊敏さを生かせると思って入部した姫嶋にとっては、この起用に疑問を持たざるを得なかったが、HOというポジションをよくよく調べてみると、やることは意外に多いと気付かされた。スクラムの最前列に入ることは分かったが、ほかにもスクラムに投げ入れられるボールを味方側に搔き入れるのもHOの役目らしい。そもそもフッカーという名前の由来もそれ(フッキング)だ。また、これは必ずしもルールで決まっているわけではないが、一般にHOがやることとして、ラインアウト││ボールがグラウンドの外に出たときにボールを投げ入れて再開する際の集団戦││のスローワー、つまりボールを投げ入れる役もあるという。君は体が強そうだし器用だろ、フッカーできるよ、という松田からの暗黙の圧力が伝わってきた気がした。これはやるしかないなとようやく腹をくくる。

ラインアウト

 ラインアウトはボールを投げ入れる地点、すなわちボールがグラウンド側面に引かれたタッチラインを割った地点を基準に、その5mから15m先で両チームが数名ずつ相手と1mの間隔をあけて垂直に並んで立ち、投げ入れるボールを取り合う、バスケットのジャンプボールのような、それを縦長にして投げ入れる場所を広げたような、ざっくりと言えばそんな集団戦だ。FWメンバーが中心になって所定のポジションをとってプレーを再開するスクラムと並ぶセットプレーの一つで、姫嶋が命じられたHOはここでボールを投げ入れる役、スローワーを担っている。

 スローワーが投げ入れたボールをキャッチするのは││そこはサインプレーでいかようにもできるのだが││チームで一番背の高いメンバーが担うロック(LO)だ。大田原中学ラグビー部1年生チームでは、そこそこの身長とそこそこのガタイの良さ、そしてそこそこのジャンプ力を持ち合わせた卜部進(うらべすすむ)と館川晴臣(たてかわはるおみ)が選ばれていた。姫嶋は、全く面識のない彼らとラインアウトのコンビネーションをひたすら練習することになる。

 LOはスクラムでは2列目に位置してスクラム全体の長さを決める。スクラムが縦に長い方が、相手から離れてボールを動かしやすいという利点があるからだ。それだけでなく、LOはラインアウトで相手との競り合いに勝つために、長身でかつジャンプ力があればあるほど良い。他競技でいえばバスケットやバレーボールをやっていそうな選手が向いているのだが、そこは片田舎の公立中学だけに、そうそう都合の良いメンバーがいるはずもない。そもそも試合をするために最低限必要な15人のメンバーを集めるだけで一苦労の部活動なので、少し背が高いだとか、少しジャンプ力があるとか、必然的にそういった極めて相対的な選出になる。前置きが長くなってしまったが、つまりそこそこの戦力でなんとかやりくりして試合を成り立たせるのが田舎中学ラグビー部の宿命でもあるのだ。

 幸いにして、大田原中1年のLOコンビ、卜部と館川は、小学校時代それぞれバスケットとバレーボールを経験しており、新入生のスカウトに余念のない松田が目をかけて連れてきていた。試しにジャンプしてボールを取らせてみると、館川はすんなりとボールをキャッチし、最初は不慣れだった卜部も何度か試しているうちにコツをつかんだようで、すぐに様になってきた。松田の人選もまんざらでもないなと思わず感心してしまった姫嶋だったが、彼らにボールを投げ入れる自分の役割にハタと気が付いて一瞬空を見上げた。

スローフォワード

 ラグビーのボールは基本的に前に投げてはならないことになっている。もっと具体的に言えば、自分たちが攻める方向に向かって投げるとスローフォワード、英語表記でThrow-Forwardという反則を取られ、相手ボールのスクラムで再開することになる。ちなみに、海外ではForward Passという言い方が一般的だが、日本では不思議なことにスローフォワードとしか言わない。それまでソフトボールや野球に親しんできた姫嶋は、最初こそなんと制約の多い競技かと思ったが、慣れてみると大した制約でもないなと思ったし、何よりそもそも前に投げられる競技だったとして、それが競技として成り立つのかさえ疑問に思えてきたので、すぐに気にならなくなった。

 ラグビーでは、真横から後方のグラウンド内ならどこへ投げても許されるのだが、その例外がラインアウトスローだ。スローワーは相手側、すなわちスローフォワードになる方向へはもちろん、味方側に投げ入れてもいけない。ラインの真ん中でボールを競り合うのに味方側に投げて良いなら勝負にならないからだが、これがノットストレート、文字どおり真っ直ぐ投げ入れなかったという反則になる。よってスローワーを任された姫嶋が担うのは、ボールを真っ直ぐに、かつ、卜部や館川のジャンプに合わせた絶妙な位置とタイミングで投げ入れる役割で、責任はことのほか重大だ。

 ラグビーでは前にさえ投げなければ投げ方はどのようであっても許されるのだが、とはいえ、ラグビーボールは皆様ご存じの楕円球なので、ただ単純に投げても真っ直ぐ進んでくれない。受け手に取りやすくしないとノッコンになってしまうし、明後日の方向だと相手に奪われてしまうので、ボールを投げるときは適度な速さと真っ直ぐさ、そして受け手にとっての軌道の分かりやすさが重要になり、そこで使われるのがスクリューボールだ。スクリューボールは、楕円球のとがった両端を結んだ線を軸にしてボールを回転させながら投げる方法で、回転によって空気抵抗がいなされて真っ直ぐに進む仕組みだ。

 松田の見立てどおり人並み以上に何でも器用にこなす姫嶋ではあったが、頭でそういった理屈が分かっていても未経験者がコツを覚えるのはなかなか一苦労だ。回転を意識し過ぎれば前に進まなくなるし、前に投げることを意識し過ぎれば回転がおろそかになって軌道が怪しくなる。何事も程良いバランスが必要なのだと改めて気付かされるのだが、ましてやラインアウトのスローイングは、脇からではなく頭の上からボールを投げるので、フィールドで使うスクリューボールとはまた違うスキルが必要になる。責任を両の肩に感じている姫嶋は、フィールドでのパス練習もそこそこに壁やポールを相手にひたすらラインアウトスローの練習に打ち込むことになった。

リフティング

 練習後も遅くまでラインアウトスローの練習を繰り返した甲斐もあって、入部から一月もしない頃、姫嶋は一つの確信的な感覚をつかんでいた。当時のラグビーボールは、その後十年ほどで様変わりした後のような合皮やゴムに表面に滑り止めの凹凸を施した、取り扱いやすい代物ではなく、茶褐色の革製で極めて重みのあるもので、雨でも降ろうものなら水分を多量に含んでもはや跳ねたり蹴って飛ばしたりすることもためらわれるような有様だった。そんな重量級の楕円球だからか、ボールを持つ位置や触り方によって、手に馴染むというか、居心地の良いというか、とにかく投げるにも受けるにもバランスの良いポイントのような場所がどのボールにも共通してあることに姫嶋は気が付いた。楕円が最も尖ったところや中心の最も丸いところもバランスとしては良いのだが、手をボールの中心から先端に向かって少し、やや尖った方寄りにずらして持ってみると、意外にも片手で簡単に扱えるようになるのだ。

 そうやって持ったボールをそのまま脇から前に押し出せばスクリューのかかったパスになるし、持ち方を入れ替えて頭の上から前に押し出せばラインアウトスローになる。これはしめたものだと姫嶋は内心ほくそ笑んだが、せっかくのブレイクスルーにもかかわらず残念なことに、この感覚は利き手の右だけに通用するものだとすぐに気が付いた。試しに持ち手を右から左に、ボールを右脇から左脇に持ち替えただけで途端にボールの軌道が不安定になり、ましてや届く距離にも制約が出てくる。とはいえラインアウトスローは向き合った味方に真っ直ぐ投げ入れるだけ││と言ってもその真っ直ぐが難しいのだが││なので、利き手問題は関係なく、スローワーの姫嶋にとってここでつかんだ感覚の大きさは計り知れないものだった。

 ところで、今ラグビーのラインアウトを見ると、スローワーとそれをキャッチするジャンパー││文字どおりジャンプする人││のほかにジャンパーを持ち上げるリフター││持ち上げることをリフティングと言うのは言わずもがなであるが││がいるのが分かるだろう。ジャンパーがより高い位置をキープして相手に取られずにボールを確保するための正当なプレーなわけだが、この当時リフティングはなんと反則だった。つまり、ジャンパー以外のプレーヤーは、ジャンパーがボールをキャッチして地面に着地するか、ラインアウトからボールが出される││そのボールを受けるプレーヤーはレシーバーと呼ばれるのだが││までプレーに参加できないことになっていて、ジャンパーに触るのが早いとリフティングの反則を取られていた。

 リフティングが認められていなかったのは、概ねボールを持つ、あるいは摑まえるプレーヤーは常に自分の力のみでボールに向かうといった精神や単純に危険を伴うからというのが理由だったろう。しかも、リフティングが認められたところで、相手との競り合いがより高いところで行われるだけではないかとも思えるわけだが、いずれにしても、さして高い技術も飛び抜けた体格も有していない姫嶋とその相棒たち、卜部と館川にとってはいかに相手を翻弄し、絶妙なタイミングでキャッチするか、試合のたびに苦心と苦労の連続だった。

モール・ラック

 スローワーとジャンパーが呼吸を合わせてボールを確保するには、どの位置にどのようなタイミングで投げ込むかが勝負で、相手に気取られると妨害を受けたり、ターンオーバー││味方ボールが意図せず相手ボールになってしまうこと││になったりするので、スローワーとジャンパーは相手に分からない暗号、サインを使う。大田原中の伝統のサインは極めて単純で、0から9までの数字を4つ並べ、最初に決めた位置の数字が前半の0から4までだったら前の方、後半の5から9までだったら後ろの方に投げることになっていた。本当ならさらに、ラインアウトの一番前の選手がジャンプせずに取る方法や、後ろの後ろ、ラインアウト全体の長さを超えたところまで投げ入れる方法もあるのだが、技術的にも覚え切れるサインの種類的にもまずはそこまでだろうと割り切った、随分な潔さだった。

 もちろんそれしか知らない姫嶋とその相棒たちにとって深く考える余地はなく、ひたすら三人でコンビネーションを磨き続けたのだったが、それでも一向に改善しないラインアウトからのターンオーバーの多さにはさすがに閉口した。それでも、姫嶋、卜部、館川の苦労の甲斐あって、夏休みに差し掛かるころには、上級生との練習でも控えめに言えば2回に1度以上、姫嶋の中では3回に2度かそれ以上はサインどおりのキャッチができるようになった。体格に恵まれない姫嶋達にとって、これは目覚ましい成果だ。

 ラインアウトでボールを確保できるようになると、次に待っているのはモールと呼ばれる集団戦だ。モールは、ボールを持った敵味方一人ずつともう一人が加わった状態で、ボールがいずれかのプレーヤーの手元にある状態を言い、簡単に言えば味方も相手も手でボールを掴みにいって良い状態と言うことになる。そうは言っても、最初にボールを持った側、例えばラインアウトでボールを確保したそちら側の味方が一斉にボールを囲んでしまえば、相手側が簡単にボールにはたどり着けるものではない。逆に素早くボールを囲い込まないと、相手の、特に背が高いLOのプレーヤーがその手足の長さを存分に発揮してボールを奪ってしまうことになりかねないので、ラインアウトでボールを確保した直後のこの動きが非常に重要なのだ。ラインアウトのコンビネーションで苦労苦労を重ねてきた姫嶋とその相棒達にとっては一難去ってまた一難、やれやれである。

 さらに、モールになったボールが地面に置かれた││落とすとノッコンなので後ろ向きか真下に置いた││状態になることもある。これをラックと言って、今度は地面にあるボールに手を出してはいけないというルールになっている。少しややこしい設定だが、素人の姫嶋にとってはそういうルールだと飲み込むしかないし、むしろ手が出せないなら相手に取られそうなとき置いちゃえば良いじゃんなどと子供のようなことを考えてみたが、今度は足を出せるようになるので、そう単純ではない。ただ、ボールの確保という観点だけからすれば、ラックになった方が有利になるのは間違いなく、姫嶋のそうした感覚もまんざらではなかった。

 とにもかくにも、苦労して確保したボールを確実に味方につなげるには、このモールやラック、当時はブレイクダウンなどという洒落た言い方は少なくとも姫嶋の周囲にはなかったので、専ら「モール・ラック」と呼んでいたが、その集団戦でうまく立ち回る必要があり、練習や試合を繰り返すことで、姫嶋達初心者にもようやくそうした感覚が体に馴染んでくるのだった。